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2007年04月07日
Mac上で、Windows

写真はわたしのノートパソコンです。
Macのプロ用ノートブックなんですが、
Intel社のCPUを使うようになってから、ずいぶん便利になっています。
ごらんのように、っていってもよくわからないかなぁ、
Macのデスクトップの上にWidowsVistaの環境もインストールしています。
以前までは、BootCampというソフトを使って、Windowsを起動させていたのですが、
それだと、いちいちMacとWinで再起動させて使わなければならないので
ちょっと面倒だったのです。
それで、最近、Parallels Desktop というソフトを導入してみたのです。
これだと、Mac上の1ソフトウェアという感じでWindowsが動作するので
大変シームレスに作業できるのです。
たとえば、プロ野球パリーグの試合はWindows環境では
4チームの主催試合がブロードバンド動画として放送されていますので、
このMac環境の中のWindowsで再生させながら、
Macのソフト環境で、仕事上のデータ処理を続ける、というように利用できます。
はじめは、こんな使い方では動画も遅くなったりするのでは、
と思っていたら、そんなことはなく、問題はありません。
MacとWindowsで、データを共有する場合も、
Windows側で、共有設定フォルダを登録すれば、可能になっています。
わたしの場合、外付けHDも共有させていますが、問題なく動作します。
同じデータを、両環境で使えるんですね。
ただし、今のところ、同時にデータ改変させるみたいなことはやっていません。
っていうか、必要がないのでやっていない、のですが。
Macユーザーからすると、いままで、Windowsソフトを使用するには
別に1台、使い方から慣れる必要があるPCを別に用意しなければならなかったのが、
そこそこハイスペックなMac1台ですべてまかなえるようになってきたのは大歓迎。
というようにやっていたら、今度は、
Mac上で、直接Windows用に書かれたソフトをインストールできる
っていう、ソフトができたんですね(驚き)。
日本語版がもうすぐ、5月には発売されるということなので、
また、購入してみようかと考えております。
ただ、どうなんでしょうか、システムと、かなり応答が頻繁なブラウザなどのソフトは
どのように動作するか、ちょっとわからないですよね。
でも、こういうソフトも考えられるようになってきたのは、
やはり同じ系統の、というかIntelのチップで、どちらのOSも
走っているから、というプラットフォームの統一が大きいのだと思います。
ということで本日は、久しぶりにパソコンネタでした。では、良い週末を。
きょうは坊主と、久しぶりに温泉にいってきます。
なので、明日の更新はすこし遅れて、たぶん、午後の予定。
どうか、悪しからず。ではでは。
2007年04月06日
多賀城碑文

多賀城 京を去ること一千五百里
蝦夷国の界を去ること一百二十里
常陸国の界を去ること四百十二里
下野国の界を去ること二百七十四里
靺鞨国の界を去ること三千里
此の城は神亀元年(七二四年)歳は甲子に次る、
按察使兼鎮守将軍・従四位上・勲四等・
大野朝臣東人の置く所也。
天平寶字六年(七六二年)歳は壬寅に次る、
参議東海東山節度使・従四位上・仁部省卿・
兼按察使鎮守将軍藤原恵美朝臣朝、修造する也。
天平寶字六年十二月一日
さて、本日は歴史探訪編です。
東北を歩くと、いろんなところでこの碑文と巡りあいます。
拓本が飾られているケースが多い。
奈良期にこの「日本国家」の最前線国家施設として多賀城が築かれたことがわかる。
当初はこの碑文、偽作説もあったけれど、
いまは正規の歴史資料として公認されています。
で、このなかに先日のブログでも触れた北方アジア沿海州の
「渤海国」について触れられている。
表記としては、靺鞨〜まっかつ〜国という民族名として記載されています。
当時の1里は約535mとされていたので、
この国までは、1600kmほど。沿海州のたとえばウラジオストックまでの距離と考えれば
おおむね符合する。
当時の国際感覚として、こういう国の正規機関の記録に
明記すべき国家として、認識していたということ。
それだけ、活発な交流が行われてきたということを証し立てていますね。
日本の歴史記述の中によく登場する奥州の名馬、
というものは、どうも、奥州で生まれた馬ではなく、
この渤海国から、輸入されてきた大型馬のことのようだという説がある。
沿海州ーサハリンー北海道ー十三湊もしくは秋田、というルートを
常に陸地を左手に見ながら、安心させながら馬を運んできたと想定されるのです。
かれら民族からすると、もっとも安全なルートを通って
もっとも繁栄した経済圏の最短の地域が、東北北部西岸だったのでしょう。
そこで、もっとも珍重された交易品が馬だったのではないか。
その馬を、東北北部のひとびとは
近畿を中心とする日本国家との交易の最有力商品として使った。
織田信長なんかも、大喜びしている記述がある。
なんていう、雄大な古代世界の交流の様子が、
古代人たちのこうした記述記録から、伺えます。
北方アジアと、列島北東部との社会の交流の様子、
もっと、深く知りたいものと念願しているところ。
朝鮮、中国との国際関係だけではない、
もっと多角的な視点というものをもたらしてくれるのでは、と思う次第です。
みなさん、いかがでしょうか。
2007年04月05日
秋田弁の圧倒的魅力

先日、秋田でカラオケをやっていたとき、
圧倒されたのが、秋田弁バージョンの「大きな古時計」。
いやぁ、この説得力って、すごい。
秋田って、札幌といろいろ似ている部分があって、
冬の気候で似た雰囲気があるとか、女性の肌の色が白く感じるとか、
雪への感覚の部分で、おなじ日本海岸性寒冷地ということで、
親近感を持つのですが、
決定的に違うのが、言葉。
まぁ、北海道にも方言はあるけれど、どちらかといえば単語レベルで
まとまったイントネーションとしては基本的に共通語だと思います。
まぁ、多少はあるんですけれど、
北海道の人間はたとえば東京でも、それほど違和感なくしゃべる。
ところが、秋田のコテコテ言葉になってくると、
地元のみなさんは、そのままでは東京ではしゃべれないのだそうですね。
秋田美人として知られた女性作家、矢田津世子の書かれた文章を
読んだことがありますが、少女期に東京に移住して
言葉で、強烈なカルチャーギャップと劣等感を抱いたという記述がありました。
このあたりは、北海道の人間にはちょっとわからない部分。
北海道人は、むしろ「恥ずかしい」という感覚もなく、
そのまま、「なして、おかしいのさ? いいべさぁ」などと、方言を使いまくる感じ。
そういういい意味の(?)デリカシーのなさを持っています。
そこへいくと、やはり秋田のみなさんには恥じらいという奥行きがある。
でもまぁ、ディープに話してきて、酒でも回ってくると
「$%#”(’%$###あ?」みたいに、わかんなくなってきますよね。
まぁ、そういう席では、もう適当に相づちを打っておくくらいしか手がない。
そうすると、なぜかどんどんお酒をつがれる(笑)。
しょがない、って、飲んで二日酔いに悩まされる、というのがパターン(泣)。
というような秋田弁ですが、
なんとか、くだんのCDをインターネットの検索で発見いたしまして、
って、わたしはよくiTunesで、購入するのですが、
どうも、レコード会社によって、いまだに販売許可していないのですね。
しかたなく、CDを通販で購入し、先日到着しました。
で、たまに聞いているのですが、こりゃぁ、歌えるようになるのは至難ですね。
秋田弁のイントネーションから理解しなければならないので、
さて、どれほど、時間がかかるものやら、不明です。
歌手は伊藤秀志さんというのですね。
いろいろ、有名曲の秋田弁バージョンなので、メロディはわかるけれど、
節回しや、文節の切り方、つなぎ方、
ほぇ〜、という感じの難しさ。
スウェーデンあたりのひとが、シチリア訛りのイタリアの歌を覚える以上の大変さ、かなぁ。
先日も機会があったので、カラオケ、一度チャレンジはしたのですが、
あえなく、ボロ負け、という感じで討ち死にでした。
でも、まぁ、あせらず、がんばってマスター、できないまでも、
すこしは秋田弁の雰囲気の、さわりくらいまでは近づきたいと念願しています。
聞かされる方、勘弁してくださいね(笑)。ではでは。
2007年04月04日
解体工事

最近、事務所のある札幌市西区山の手地区周辺では
いろいろな建設計画が進んでいるようです。
で、けっこう集積が進んでいる地域なので、勢い、建て替えや
土地の再利用というケースが多く、そういう解体工事が多い。
おもしろいもので、建築って、一度解体されてしまえば、
「あれ、ここに何、あったんだっけ?」とあっという間に忘却されてしまう。
というか、印象の薄い建物は解体されても、ほとんど気づかない。
最近は、コンクリートの建物を解体して、まったく違う利用途で
土地を再利用するというような工事が増えている印象があります。
それだけ、投資先を求めるマネーの趨勢が高まっている、
不動産バブル的な状況が、山の手地区のような場所にも
押し寄せてきたのかも知れません。
つい先日まで、会員制のスポーツクラブだった5〜6階建てくらいのビルが取り壊されて
今度は20階建ての高層MSが2棟、その跡地に建つのだとか。
取り壊されたビルだって、そんなに老朽化していたわけではなく、
まぁ、たぶん、投資不動産ファンドみたいなマネーによる
再開発型の「投資案件」になったのだろうなぁ、と推測されます。
ついこの間まで、札幌市中央区だけで起こっていた現象が
地下鉄からの距離もそう遠くないという立地環境から、
この地域もターゲットになってきているということなのでしょうね。
写真はどうも、以前賃貸マンションではなかったかな、と推測される建物。
どう考えても、解体してしまうのはもったいないと思える鉄骨造。
外壁にもタイルを使っていて、それなりに見栄えもしていたのですが、
まぁ、すさまじい状況で解体されておりました。
どうも、やはり、こういう解体工事は見ていると興奮してきますね。
無慈悲、というような形容がやはり適切。
お金の問題が最優先する、というようなあらがえないような迫力があります。
それ以外にも、どういうふうに建てられていたのか、
その素性が明確にわかるというような興味もわいてきますね。
ここでは、鉄骨構造だったわけですが、
こういうことも、建っている状態だけでは判然としない。
で、鉄骨の状態はどうだったのか、経年劣化の様子は・・・
などと、つい深読みしたくなるのは、こういう仕事の性でしょうか(笑)。
しかし、壊されて簡単に、何が建っていたか忘れられるような住宅や建築、
っていうのも、なんとも寂しいものですよね。
できれば再利用したいと、あとの時代のひとが思えるような建物を
いま、残し続けていきたいものですよね。
みなさん、いかがでしょうか?
2007年04月03日
がんずき、ごちそうさま!

写真は先日、訪れた水沢近郊の古民家再生住宅でいただいたおやつ。
「がんずき」っていうんですね。
お住まいのおばあちゃんが作ってくれていた手作りおやつでした。
地元の味、っていうことのようですね。
見た感じはごらんの通りですが、まぁ、黒い蒸しパン。
インターネットで調べたら、作り方が出ていました。
黒糖、牛乳、たまご、蜂蜜、重曹、小麦粉、お酢、を
まぜまぜして蒸し器で蒸したおやつです。このへんでは、
がんずき、とか、がんじきと言われている昔ながらのおやつです。
上にのっているのは黒ゴマです。もっちりしたあまり甘くなくて、なつかしい味です。
っていうことのようなんですが、
わたしはこういうおやつのようなものには、作ろうという意欲がわかないタチでして、
ただひたすら、研究吟味することもなく
パクリパクリと、ありがたくお腹に納めさせていただきました。
食感は上の説明の通りですね。
甘みも抑えられていて、いくらでも食べられそうな飽きの来ない感じ。
お茶うけにぴったりですね。
こういう、いかにも人が作った、という感じの手作りの食感を味わうって、
やはり、しみじみと伝わってくるものがありますね。
出来たてほやほやではないけれど、
まだすこし、温もりが残っているようなほの暖かさ。
そのお宅での時間の印象を膨らませてくるものがあります。
ということで、名前だけ聞くと、
雪の上を歩いていく大型草履かぁ、と聞き違えそうでしたが、
って、そりゃぁ、かんじきですよね。
あにはからんや、口中にさわやかな甘みが広がりましたです。
ごちそうさまでした。
インフルエンザ、なんかしつこいヤツです。
なかなか、鼻水が完治しません。
相当に重症だったのでしょうかね。
しばらくは、様子を見ながらになりそうです。
今朝もまだ、小雪がちらついております、札幌。
春はまだまだ、先になりそうな今日この頃です。
でも、新卒さんが出社してきたり、人の出入りもあって、やっぱ、新年度ですね。
2007年04月02日
平泉の風景

写真は平泉中尊寺の山道から北上川のほとり、
昔、奥州藤原氏の居館があったとされる場所を見下ろしたところ。
右手の山は、このあいだ触れた束稲山です。
こうやってみてみると、北上川の水利によって
京都や関東などの諸地域との物資のルートが保たれていた様子がわかります。
奈良期に大仏に金箔を施すのにたぶん、奥州の金箔が使われ、
このルートが重要なルートになり、
義経の時代にも、「金売り吉次」が活躍したように、
東北は、なによりもこの金の産出によって特徴づけられたのだと思います。
現在でも、金の字のつく地名が多く残っていますね。
こうした東北に対して、関東の武装開拓勢力、源氏の武士団が
権力争いに介入していったのが、前九年・後三年戦争だったのでしょう。
たぶん、そこに大きな利権のニオイをかいで
あわよくば勢力を拡大しようというのが源氏の連中の狙いだったのでしょう。
で、この合戦の結果、平泉を首都とする奥州藤原独立政権が誕生する。
この武権の成立によって、奥州は他地域からの介入から免れます。
東北はまた、一方で「北の海道」によって
沿海州の民族とのつながりが密接だったようです。
西南日本は、中国との貿易立国型の国づくりを志向する傾向が強いのに対して
「渤海国」とのアジア北方の交流は、相当のものだったのではないかと推測できます。
鎌倉時代に描かれた時事絵詞に、北方の「金髪・異形」の人物が
遠江で、山賊の一味として描かれたイラストがありましたが、
秋田や十三湊などの東北北西岸から、北海道、サハリン、という
比較的安全な海路による交流は相当に根深かったと思われるのです。
そうした富も、この平泉の藤原氏によって統括され、
きわめて独立性の高い国家が出現したのではないかと思うのです。
日本の歴史の中で、敗者側としてはたぶん一番近い歴史時間である
この東北地域の権力のありよう、経済のありようなどに
強く引かれている、昨今であります。
負けた側の歴史もまた、掘り起こせば起こすほど興味が強くなってきます。
2007年04月01日
手業の残る建物

先日の東北住宅大賞で伺った古民家再生の家で、
たまたま、屋根の縄組などのデザイン表現について質問したのですが、
断熱気密化工事をしながら、いかに縄組のような手業を延命させていくか、
しばし、その技術について話し合ったりしました。
やはり、まったく以前の状態を復元するのは
とくに縄の色合いであるとか、木材との調和など、
大変難しいものがあるので、既存状態を維持させながら、
その上側にあらたな断熱気密層を新設して、それと既存縄組を調和させる、
という手法を採用した、ということでした。
ここで、デザイン、ということについての考え方が
ふたつに分かれるものなのかなぁ、という印象を持った次第。
まぁ、言ってみれば、「デザインを作る」という考えと「デザインを活かす」という考え。
そしてもっと言えば、デザインっていうのはなんなのか?
現代的なガラスと鉄、コンクリートで自由に造形するデザインと
不自由な素材で、その素材のもつ親和力のようなものを組み合わせていこうとするデザイン。
前者の方のデザインは自由にいろいろな感情や思いを呼び起こせるだろう、
という表現としての自由度が高いと思われているのが現状。
多くの専門家はそのような方向でものを見ているのではないかな、と。
けれども、住宅を使っていく側、ユーザー側としては
かっこよくまとめられたデザイン空間と、
たとえば日常で写真のようなエッジの部分を持った建築では
抱きうる愛着のよすがの量や、雰囲気において隔絶感がある。
いま現在で言えば、木造で作られた古建築は相当長い世紀にわたって
「愛着」というものが延命し続けていくのは確かだろうと信じられるけれど、
たとえば、あたらしくできた六本木の新シティなどは
今後も量産されるだろう新技術建築の洪水の中で「愛着」を存続させられるのか?
どうも、疑問に思えてならないのです。
北海道の例で言えば、赤煉瓦の北海道庁建物は幾世紀も保存されていくだろうが、
隣接している現在の鉄筋コンクリートの庁舎は
だれも存続すべきだと声を上げないだろうと言うこと。
いまでも、赤煉瓦は「白華」現象が出てくる「生きている」感じがあるけれど、
近代コンクリートの自由造作建築は、陳腐化スピードが格段に、速い。
というような雑感を抱いた次第なのです。
最近はむしろ、写真のような茅葺きの屋根を現代に再生利用しようという
エコロジカルな考えの方が、どうも
現代人の心を掴んでいるのではないかなぁと思われる部分もあります。
しかし、縄という不定型な素材で、人間の編む、結ぶ、という手業だけで
建物を作り上げていく、って、
考えてみるときわめて「贅沢」な家ですよね。
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